「罪人ではなく、目的人です。」We’re Not Sinners but People of Purpose

 

日本語の聖書の中に、罪という言葉をよく見ます。(新改訳聖書には、1000回以上)

しかし、キリスト用語に慣れていない人には、本来の罪の意味が正しく伝わっていません。
また、クリスチャンの中にも、この罪というコンセプトを理解していない人達がいます。



日本語で罪と言えば、犯罪を思います。つまり、誤った行いです。
ですから、罪を犯さないように、努力することが強調されます。
そのために、罪意識を高めて、「しても良い」、「してはダメ」、「それは罪だ」、「それは罪じゃい」:つまり、人の行動を中心にする幼稚な言い方をよく耳にします。

これこそ、宗教の霊です:つまり、人の努力によって神様の恩寵をいただこうとすることです。
初代教会にも、この考え方がすぐ侵入してきて、パウロがこういう考え方に対して、強く忠告しています。その御言葉を後で見てみますが、まず「罪」という言葉を再定義してみましょう!

旧約聖書のヘブライ語と新約聖書のギリシヤ語で罪と訳されている言葉の原語は、犯罪という意味ではなく、目的から離れる、道を迷う、的を外れる、という意味です。
ギリシヤ語の言葉は、アーチェリーで使われ、「的外れ」という意味があったそうです。

このアーチェリーの例はとてもわかりやすいですね。ぜひ覚えていただきたいと思います。

アーチェリー選手が、最も集中して見つめている、その先にあるのは、何でしょうか?
もちろん的です。それも、的の一番中心部分です。
的の外に注目するように教えるアーチェリーのコーチは、いません。

同じように、聖書の言葉は、いつも的、つまり目的に目を留めるように励ましています。

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」2コリント 4:18
「私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」ヘブル 3:1
「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」コロサイ 3:1-2
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル 12:2

イエス様ご自身が、その的、私たちの目的です。

常に、罪に目を留めていたり、いつも罪を意識していると、確かに罪人のようになりますよ!
しかし、覚えてください。それは、アーチェリー選手が的ではなく、的の外、的を外れたところに注目しているようなことです。
的、目的をしっかり覚え、イエス様ご自身に目を留めて、キリストの十字架を通して既に神様と不思議に繋がれていること、聖霊様が内に住んでおられることに目を留めていけば、あなたは、イエス様のように変貌されていきます。

このように話すと、なるほど、当たり前の事のように思えるかもしれませんが、実際に力のない、外見的なルールなどに気をつけてください。

パウロがこういうルール、律法、規則、考え方に対してきびしく教えています:
「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、すがるな。味わうな。さわるな」というような定めに縛られるのですか。
そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」コロサイ 2:20-23
「ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」ガラテヤ 3:1, 3
こういうルールは、「悪霊の教え」とまでパウロが教えています。
「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」1テモテ 4:1
ルールや規則などによって生きるのでないのなら、私達は、どのように生きるべきでしょうか?
内に住んでおられる御霊によって生きるのです!
「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」ローマ 8:4
キリストの完成した働きに休むこと。
聖霊様によってキリストご自身が私たちの中に生きておられることを覚える事。(1ヨハネ4:12)
「私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えたからです。」(2ペテロ 1:3)
では、具体的に、どうやって罪に対して勝利する生活をすることができるのでしょうか?

主の真理の御言葉にとどまる。人の解釈やまことしやかな 人の教えではなく、御言葉そのままに留まりましょう。特に、エペソ、コロサイ、ピリピ人はの手紙に注目しましょう。
神様の目的を聖書を通して、直接聖霊様に教えていただき、しっかりと覚えること。
その大きな目的:神の永遠のご計画、つまり、
「いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」エペソ 1:10
そして、個人的な目的:
神様の息子、娘として生きること。
あなたの家族、友人、教会の兄弟姉妹のための目的
そして、神様の具体的な、実用的な目的
あなたの健康のため
あなたの仕事、職場、奉仕のため
人生の全てに関わることについて、神様の目的を求めましょう。

ぜひ、このように祈ってください:
「主よ、あなたは家族、夫婦関係について沢山教えてくださっています。私の家族、妻、夫、子供、お母さん、兄弟のために、一つ一つの目的を教えてください。どんなご計画を持っていますか?」
「私の職場、わしたの時間、私の奉仕。どんな目的がありますか?どんなご計画を持っていますか?」
「私の思い、私の態度、感情について、どんな目的がありますか?どんなご計画を持っていますか?」

聖霊様の御声を聞き、新鮮な視野をいただきましょう。

最後に、もう一度いいます。
罪に勝つために、本来の目的に留まるためには、はじめから終わりまで、内におられるキリストを常に覚えて、交わり、感謝して、喜ぶべきです。
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」コロサイ 1:27
では、聖霊様にあって、イエス様と共に、溢れるばかりの父なる神様の愛に留まる一週間を迎えてください!